私の手元には、父が30年以上愛用してきた黒い革のセカンドバックがあります。父が亡くなった後、形見として引き継いだものですが、それは驚くほど丁寧に手入れされており、深い黒の輝きを放っていました。かつての時代のバックなので、最近のものに比べると少し厚みがあり、質実剛健な作りをしています。私が初めてそのバックを持って知人の葬儀に参列した時、手に伝わる革のしなやかさと重みに、父の厳格な背中を思い出しました。父はいつも、葬儀から戻ると、玄関先でまずこのバックを丁寧に拭き、数珠や袱紗を元の場所へ整然と戻していました。その姿を見ていた子供の頃の私は、なぜそんなに熱心に鞄を磨くのか理解できませんでしたが、今なら分かります。それは、故人に対する敬意の表れであり、人との縁を大切にするという父なりの儀式だったのです。葬儀用のバックは、人生の悲しい場面でしか登場しません。しかし、その悲しみの一つひとつをこのバックは記憶し、父の人生の歩みに寄り添ってきたのだと感じます。最新のブランド品を買い換えるよりも、こうして1つの物を大切に使い続けることの尊さを、バックが教えてくれているようです。もちろん、修理が必要な箇所もありましたが、馴染みの職人に頼んで直してもらい、今でも私の弔事の良き相棒となっています。男性にとってのバックは、単なる道具以上の意味を持つことがあります。特に葬儀という命の尊厳に向き合う場では、その持ち物が、自分のルーツや、受け継いできた価値観を再確認させてくれるのです。私も父がそうしたように、このバックを使い終えるたびに、感謝を込めて手入れをしています。そしていつか、自分の息子が独り立ちする時に、「これを持っておきなさい」と手渡せることができれば、それこそが最高の教育であり、継承なのだと思います。物には心が宿ると言いますが、葬儀用バックという、最も慎み深いアイテムにこそ、日本人が大切にしてきた「礼」の精神が色濃く残っているのかもしれません。形見のバックを持つことで、私は父と一緒に故人を偲んでいるような、不思議な安らぎを感じることができるのです。
父親から譲り受けた葬儀バックに宿る心