私は1年前、癌で他界した父の葬儀で動画撮影を行いました。最初は葬儀を撮影することに抵抗がありましたが、海外に住んでいてどうしても帰国できなかった妹のために、せめて式の雰囲気だけでも伝えたいという思いからカメラを回す決断をしました。結果として、その動画撮影は妹のためだけでなく、私や母にとってもかけがえのない救いとなりました。葬儀当日は、喪主としての務めに追われ、参列してくださった方々の顔をゆっくり見る余裕も、父のために飾られた花の色をじっくり眺める時間もありませんでした。しかし、後日落ち着いた時に動画を見返すと、そこには私たちが気づかなかった多くの愛が溢れていました。父の親友が涙ながらに語ってくれた弔辞の震える声や、孫たちが棺に花を入れる時の優しい表情など、静止画だけでは伝えきれない温度感が記録されていたのです。動画撮影をする上で気をつけていたのは、とにかく目立たないことでした。私は黒い布でカメラの目立つ部分を隠し、式の進行を妨げない位置に固定しました。1台は全体を映す定点カメラ、もう1台は私が手持ちで移動しながら、参列者の邪魔にならない範囲で細部を撮影しました。特に1番心に残っているのは、出棺の際のサイレンの音と、集まった人々が父の名前を呼ぶ声です。あの瞬間の空気感は、動画でなければ保存できませんでした。妹には撮影した動画をすぐに専用のリンクで共有しました。彼女は画面越しに何度も頭を下げ、父に最後のお別れを告げることができたと言って泣いていました。葬儀の動画撮影は、単なる記録以上の意味を持ちます。それは、別れの悲しみを共有し、故人がどれほど多くの人に愛されていたかを再確認するための装置です。撮影した映像を編集しながら、父が生きてきた軌跡を振り返る作業は、私にとってのグリーフケアにもなりました。現在、父の1周忌を前に再びその動画を見返していますが、時間の経過とともに映像の価値は高まっていると感じます。もし葬儀の動画撮影を迷っている方がいるなら、私は無理のない範囲で記録に残すことをお勧めしたいです。その時の1分1秒が、将来の自分を支える糧になるからです。