先月、大好きだった祖母が92歳で大往生を遂げました。親族会議の結果、趣味で動画制作をしている大学生の私が、葬儀の動画撮影を任されることになりました。当初は「身内の不幸を撮るなんて」という葛藤もありましたが、今は撮影して本当に良かったと確信しています。孫という立場でカメラを構えて気づいたのは、ファインダー越しに見る世界は、いつも以上に細部にまで意識が及ぶということです。祖母が大切にしていた着物が祭壇に飾られている様子、大好きだったカサブランカの花が放つ清らかな香り、そして弔辞を読み上げる父の震える背中。それらすべてを漏らさず記録しなければという使命感が、私の悲しみを少しだけ和らげ、客観的な視点を与えてくれました。撮影中、特に意識したのは、祖母が生きてきた証をどう表現するかでした。式が始まる前、参列者の皆さんが記帳する際にこぼす「いいおばあちゃんだったね」という一言や、思い出の写真を指差して微笑む親戚の姿を、音声をメインに記録しました。これらは祖母がいかに慕われていたかを示す何よりの証拠です。動画撮影をしていると、時折「若者は何でもかんでもスマホで撮って」と苦々しい顔をされる方もいらっしゃいました。その都度、私は軽く会釈をし、できるだけ影に隠れるようにして撮影を続けました。年配の方々の中にある抵抗感も、一つの大切な感情として受け止める必要がありました。葬儀が終わってから1週間、私は必死に編集作業を行いました。1時間の式を15分に凝縮し、祖母が好きだった穏やかな曲をBGMに乗せ、テロップで感謝の言葉を添えました。完成した動画を親族で見守った時、それまで泣いてばかりいた母が「これを見ればいつでもおばあちゃんに会えるね」と微笑んでくれました。葬儀の動画撮影は、亡くなった人を過去のものにするのではなく、私たちの記憶の中で生き続けさせるための編集作業なのかもしれません。孫という近い関係だからこそ撮れた、温かみのある映像。それは私にとって、祖母への最後のプレゼントになりました。