-
スマートウォッチを葬儀で着用する際の心得
近年、AppleWatchを代表とするスマートウォッチを24時間装着している方が増えていますが、葬儀という厳粛な場におけるその扱いは、新たなマナーの課題となっています。スマートウォッチは多機能で便利な反面、弔事の席ではいくつかのリスクを孕んでいます。まず、画面の常時点灯機能や、腕を上げた際に自動で点灯する機能は、必ずオフにしておく必要があります。真っ黒な喪服を纏う参列者の中で、手首だけがピカピカと発光するのは、非常に違和感があり、不謹慎と受け取られる可能性が高いからです。また、バイブレーションによる通知音も、静まり返った斎場では意外と周囲に響きます。特に木製の椅子に座っている場合、その振動が椅子を伝わって隣の人にまで不快感を与えることがあります。どうしても着用を継続しなければならない事情がある場合は、シアターモードやサイレントモードを確実に設定し、一切の光と音を遮断することが最低限のマナーです。さらに、バンドの選択も重要です。普段使いのシリコン製やカラフルなナイロン製のバンドはカジュアルすぎるため、葬儀には不向きです。黒のレザーバンドや、落ち着いたメタルのミラネーゼループなどに付け替える配慮が求められます。しかし、最も注意すべきは「時計を見る動作」そのものです。スマートウォッチは通知を確認するために頻繁に目を落としがちですが、葬儀中に何度も手元を確認する姿は、周囲から「早く帰りたがっている」と誤解される恐れがあります。これは故人に対しても、遺族に対しても極めて失礼な行為です。技術が進歩し、便利な道具が増えても、葬儀の本質は変わりません。それは「今、目の前の別れに全心を捧げる」ということです。スマートウォッチという現代の利器が、その祈りの時間を妨げていないか、今一度自問自答してみてください。不安であれば、式の間だけでも外しておくことが、現代における最もスマートなマナーかもしれません。道具に使われるのではなく、道具を適切にコントロールして、心からの弔意を示すことが、教養ある大人の振る舞いと言えるでしょう。
-
祖母の葬儀で動画撮影を担当した孫の視点
先月、大好きだった祖母が92歳で大往生を遂げました。親族会議の結果、趣味で動画制作をしている大学生の私が、葬儀の動画撮影を任されることになりました。当初は「身内の不幸を撮るなんて」という葛藤もありましたが、今は撮影して本当に良かったと確信しています。孫という立場でカメラを構えて気づいたのは、ファインダー越しに見る世界は、いつも以上に細部にまで意識が及ぶということです。祖母が大切にしていた着物が祭壇に飾られている様子、大好きだったカサブランカの花が放つ清らかな香り、そして弔辞を読み上げる父の震える背中。それらすべてを漏らさず記録しなければという使命感が、私の悲しみを少しだけ和らげ、客観的な視点を与えてくれました。撮影中、特に意識したのは、祖母が生きてきた証をどう表現するかでした。式が始まる前、参列者の皆さんが記帳する際にこぼす「いいおばあちゃんだったね」という一言や、思い出の写真を指差して微笑む親戚の姿を、音声をメインに記録しました。これらは祖母がいかに慕われていたかを示す何よりの証拠です。動画撮影をしていると、時折「若者は何でもかんでもスマホで撮って」と苦々しい顔をされる方もいらっしゃいました。その都度、私は軽く会釈をし、できるだけ影に隠れるようにして撮影を続けました。年配の方々の中にある抵抗感も、一つの大切な感情として受け止める必要がありました。葬儀が終わってから1週間、私は必死に編集作業を行いました。1時間の式を15分に凝縮し、祖母が好きだった穏やかな曲をBGMに乗せ、テロップで感謝の言葉を添えました。完成した動画を親族で見守った時、それまで泣いてばかりいた母が「これを見ればいつでもおばあちゃんに会えるね」と微笑んでくれました。葬儀の動画撮影は、亡くなった人を過去のものにするのではなく、私たちの記憶の中で生き続けさせるための編集作業なのかもしれません。孫という近い関係だからこそ撮れた、温かみのある映像。それは私にとって、祖母への最後のプレゼントになりました。