父が亡くなったと聞いた時、私は悲しむと同時に、喪主である母を支えなければという強い責任感に駆られました。葬儀の準備は、決めることの連続でした。その中で、私たちが特に心を砕いたのが、父の友人や知人に送る葬儀の案内状でした。父は、派手なことが嫌いで、いつも「俺の葬式は、本当に親しい人だけでいい」と口にしていました。その遺志を尊重し、私たちは家族葬を選びました。問題は、そのことをどう伝えれば、父の友人たちに失礼なく、かつ私たちの気持ちを理解してもらえるか、ということでした。葬儀社が用意してくれた案内状の文例は、非常に丁寧で、事務的には完璧でした。「故人の遺志により 葬儀は近親者のみにて執り行います。誠に勝手ながら ご弔問 ご香典は固くご辞退申し上げます」。この文章で何の問題もないはずでした。しかし、母と私は、どこか冷たく、突き放すような印象を受けるのが気になっていました。父の友人たちは、きっと「最後にもう一度顔が見たかった」と思ってくれるはず。その温かい気持ちを、定型文だけで断ってしまうのは、あまりにも申し訳ない。私たちは、印刷された挨拶状の余白に、手書きで一言を添えることにしました。「父は生前 皆様と過ごした賑やかな時間を何よりの宝物と申しておりました 本来であれば皆様にお集まりいただき 父の思い出話で賑やかにお送りしたいところですが どうか父の最後のわがままをお聞き届けください」。たった数行の、拙い文章でした。しかし、そこには、父の遺志を尊重したいという想いと、参列を願ってくれるであろう友人たちへの、心からの感謝と申し訳なささを込めたつもりでした。葬儀が終わり、少し経った頃、父の親友だった方から母に電話がありました。「案内状、読んだよ。あいつらしいな。お前たちの気持ち、ちゃんと伝わったよ。ありがとう」。その言葉に、母と私は、自分たちのしたことが間違いではなかったと、静かに涙を流しました。案内状は、単なる事務的な通知ではありません。それは、故人と遺族の心を伝える、最後の手紙なのだと、父は教えてくれました。