遺品整理とは、故人がこの世に残していった品々を整理し、時には処分するという、ご遺族にとって、精神的にも肉体的にも負担の大きい作業です。その中で、私たちは、故人が大切にしていた衣類や、趣味の道具、そして思い出の詰まったアルバムなど、多くの品と向き合うことになります。しかし、そうした分かりやすい遺品だけでなく、洗面所の棚の隅や、薬箱の奥からひょっこり出てくる、ありふれた日用品にこそ、故人の飾らない日常や、生前の息遣いが、色濃く宿っていることがあります。その一つが、「爪切り」です。父が亡くなり、実家の片付けをしていた時のことです。父が長年愛用していた、年季の入った金属製の爪切りを見つけました。ヤスリの部分はすり減り、刃の切れ味も少し悪くなっていました。私は子供の頃、分厚く硬い自分の爪を切るのが苦手で、いつも父に切ってもらっていたことを思い出しました。大きなゴツゴツした手で、私の小さな指を優しく包み込み、深爪しないように、慎重にパチン、パチンと切ってくれる。その時の、父の真剣な横顔と、爪を切った後の少しツンとした匂いが、鮮やかによみがえってきました。一方、母の遺品からは、可愛らしい花柄のケースに入った、小さな爪切りとヤスリのセットが出てきました。母はいつも指先を綺麗にしていて、マニキュアは塗らなくても、爪の形を丁寧に整えているような人でした。その小さな爪切りは、母の女性らしい一面と、細やかな気遣いの心を、静かに物語っているようでした。たかが爪切り、されど爪切り。それは、ただ爪を切るための道具ではありません。そこには、爪を切るという、あまりにも日常的な、しかし、その人だけが繰り返してきた無数の行為の記憶が刻み込まれています。遺品整理とは、高価なものや大きなものを整理することだけではないのかもしれません。こうした小さな日用品に触れ、故人との何気ない日常の断片を思い出し、心の中で対話をすること。それこそが、故人を偲び、自身の心を整理していく、本当の意味での遺品整理なのではないかと、私は思うのです。